「恵比寿」という曲で一躍有名になったダミ声が特徴の真田ナオキさんですが、実は歌手になる前はプロ野球選手を目指し日本選抜にも選ばれていた経験を持っていたのはご存じでしょうか?
ですが、真田ナオキさんは高校では野球はしていないようなんです!
そこで、今回は真田ナオキの野球経験はどのくらいだったのか、日本選抜に選ばれた時のポジションについてまとめてみました。
真田ナオキの野球経験どれくらい?
有名な演歌歌手吉幾三さんの元へ2015年に弟子入りしメジャーデビューをした真田ナオキさんは次の新曲「本気で惚れた」紅白歌合戦を狙っているようです。
そんな真田ナオキさんが野球をしていたのは小学1年生から中学生までやっていたようです!
小学5年生の時は野球で日本選抜に選ばれ、世界大会へ出場の経験もある凄腕のプレイヤーだったんみたいですね!
うちの地元はリーグ制で、そんなに多くなくて。全部で8チームくらいなんです。5年生の時に、そのなかで年間最優秀選手賞をいただきました。そこからいろいろな選抜に選ばれるようになって。日本選抜にも選んでいただいて、親善試合とかに出てました。
https://www.oricon.co.jp/confidence/special/53800/
そのまま続けていたら野球でも活躍されていたかもしれませんね!
当時はプロ野球選手になるんだと思っていたようで、歌手になるとは想像もしていなかったそうですよ!
小学校や中学校はどこへ通っていたかという情報はまだ公表されていなかったのですが、真田ナオキさんがレコード大賞に出場し初めて知った方も多いのではないでしょうか。
真田ナオキさん↓
本名:松谷大介
出身:埼玉県さいたま市
生年月日:1989年12月22日
身長:177㎝
特技、趣味:空手(初段)、野球、競馬観覧
習い事:野球、空手、ボクシング、水泳、ゴルフ
主な作品:
- 「別れの夜明け」2017年発売
- 「酔いのブルース」2018年発売 オリコン5位
- 「恵比寿」2020年発売 オリコン1位
デビュー曲ではヒットはしませんでしたが、歌うごとにランキング上がっていました!
そんな真田さんは意外とスポーツマンなんですね!
それに、フジテレビ競馬中継・情報でDAIGOさんなど出演している番組にゲストして呼ばれる程の馬好きのようです!
ちなみに、野球を始めたは家族の知り合いの方が少年野球の監督だったそうで誘われたのがきっかけだったみたい!
ですが、小学4年生くらいまでは練習も真剣に取り組まず砂いじりをしていたらしいですね笑
でも、エースだった同級生の影響もあってそれから真面目に取り組むようになったそうですよ!
また、野球特待生の誘いを受けていたようなんですが中学2年生頃辞めてしまっているです!
その最大の理由は右肘の靱帯を痛めてしまい続けることが出来なかったそうです。
野球もあきらめ高校には行っていないかも・・
高校の情報がなかったので推測ですが、中学卒業してからは建設業で働いていたようですよ!
15歳ぐらいが一番きつかったです。僕、中学卒業して働き始めたんです。両親が離婚して母も大変だったので…。当時の手取り14万円ぐらいで大半を母に渡していました。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/5cb799f427f8f08e1b57eb80aebd5d4fce2c09af
この頃もまだ歌手は目指しておらず、野球を辞めてから趣味のゴルフやボクシングをしていたのだそうですよ!
なので、学生以来の野球だったのでようか憧れの明治神宮外苑室内球技場のイベント会場では思うような結果が得られなかった様子でした!
真田は9回まで一球も当たらず。3回成功のつば九郎からチャンスを与えられ、泣きの4球でようやくヒットに。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/f10d774866e7bdd41a653780f9958837b09b5bf5
野球を辞めてから歌に打ち込んでいたのでしょうか感覚が鈍っていたのかもしれませんね笑
今は亡き憧れのの故野村克也監督が率いたヤクルトスワローズの大ファンなんだとか!
というか野村監督に惹かれたようです!
でも、大好きなマスコットキャラクターつば九郎と神宮の室内練習場で対決では負けてしまって残念でしたね笑
緊張しちゃったみたいと言ってごまかしてたけど・・笑
次はこの会場で「東京音頭」を歌うとつば九郎約束を交わしていて微笑ましかったです!
ちなみに真田ナオキグッズの一つとして背番号の「18」のベースボールシャツをきてファンとふれあっているようです!
初心を忘れない為だそうですよ!
そんな真田さんが気になっている選手はヤクルトの中山翔太選手、内川聖一選手なんだそうです。
このように、真田ナオキさんは小学生~中学生での野球経験がありプロを目指し世界大会へ出場経験もある凄腕のプレイーだったようです。
プロ野球になるのが第一の夢として目指していたみたいです!
日本選抜時のポジションはどこ?
4度目のシングルでオリコン演歌・歌謡部門で1位を獲得しブレイクした真田ナオキさんですが、幼少期時代からスポーツに打ちこんできたようです。
というのも人生で一番努力し力を入れていたのが野球で日本選抜に選ばれた時のポジションは俊足校好打の1番センターだったようです!
当時小学5年生で1学年上のプロ野球選手の田中将選手と坂本勇人選手と一緒のチームだったとか!
でも当時は腕は上手だったようですがポジションの需要さに気づいていなかったようです↓
僕はセンターでした。最初にポジションを伝えられたとき、野球を全然知らなくて、外野だから球拾いだと思ったんです。ダイヤモンドの中の人たち(内野手)がメインだと思ってて、なんで俺は球拾いなんだよって(笑)。
引用元:https://www.oricon.co.jp/confidence/special/53800/
センターのポジションだと、守備がとても上手だったってことかな・・
特にセンターは守備範囲も広いから足の早さは重要なポイントでしょう!
また、真田ナオキさんは当時体重も軽く身軽で足も速かったようなのでセンターにピッタリだったのかもしれません!
センターでの抜擢されるってことは、周りを良く見渡し冷静に判断出来るタイプだったのでしょうか!
確かに歌っている雰囲気を見ると品があって落ち着いていますよね!
周りを見渡す点で言うと、ファンの間でも一人一人に感謝の気持ちが伝わる神対応が出来るタイプの方だと人気を集めています!
センターは指示を的確に出す重要なポジションだから真田ナオキさんはリーダーシップのあるタイプだったのかな・・
残念ながら続けることは出来なかったようですが野球のセンターポジションで色々と経験をしたようです!
僕は人生で一番最初に挫折を味わえたことですね。優勝や選抜などの栄光を味わせてもらったのも野球、それを失って挫折したのも野球で。僕の場合それがすごく早い時期だったので、そこからいろんな経験、景色が見られた。今考えるとよかったなと思います。何かつらいことがあってもその時と比べて全然つらくないと考えられる。「なんとかなるさ」精神が培われましたね(笑)
引用元:https://www.oricon.co.jp/confidence/special/53800/
野球を辞めてからも色々と苦労があったようなのでここでの経験や精神力が今の地位を気づきあげたのでしょう!
とても重みを感じます!
ちなみにそんな真田ナオキさんを育てたお父さんは演歌歌手のようで「桂竜士」さんというようです!
スポーツはお父さん譲りなようでお父さんの特技も空手やゴルフとなっていました!
オリコン1位とまでヒット曲は見当たりませんでしたが地元では人望の厚くカラオケバーを経営しているのだとか!
そんな演歌歌手の父を持つ真田ナオキさんですが最初から歌手の道ではなく野球目指して色々体験出来たのも野球人生があってこそだったようです!
演歌界でもセンターポジションでこれからもどんどん活躍して欲しいな!
このように、日本選抜に選ばれた時のポジションは俊足校好打の1番センターだったそうです!
ですが、けがで断念してしまったようですが、野球好きは変わらないみたい!
歌手になったきっかけは?
吉幾三さんが作詞作曲を手がけた歌と出会い注目を集めている真田ナオキさんは野球の世界を諦め次に出会ったのが歌手の道だったようです。
きっかけは東日本大震災の時の歌手臼澤みさきさんの歌に感動したようです↓
東日本大震災の時に、いろいろな歌手の方が炊き出しに行ったり歌で元気づけていらして。それまで、まったく音楽に興味がなかったんですけど、たまたまテレビでまだデビュー前の臼澤みさきさんの歌声を聴いて、歌の力を実感して、涙が止まらなくて。あれがなかったら歌の道に進むことはなかったので、人生180度変わったなって感じです。
引用元:https://www.oricon.co.jp/confidence/special/53800/2/
芸能人の力ってすごいですね!
今まで音楽にまったく興味のなかった人をブレイク演歌歌手になるまでにするんのだから!
誰かに憧れて芸能界入りしている人が増えている中真田ナオキさんもまだメジャーではなかった臼澤みさきさんの影響が大きかったんですね!
それが、21歳の時だったそうです!
ん・・お父さんじゃないんだね!
その当時は歌手になったきっかけはお父さんではなかったようですが、裏ではサポートとしてくれていたようです!
「家にいない父の背中をずっと見ていました。厳格な父で普段は家にいないのに、いる時には2、3時間正座で説教されました。帰宅して大音量で音楽が流れていると『あっ、いる』って。音楽=暗いイメージという幼少期の記憶が、自分を音楽から遠ざけていたかもしれません。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/be22fe975a0e3753fa34bc9fdffcc1a5e7476e84
いまでは二人でディナーショーや地域を回ったり共演もしながら活動していたみたいですよ!
なんだかんだで親子活動していたみたいです!
そしてやっぱりメジャーデビューできたのはもう人りのお父さん吉幾三さんですよね!
吉幾三の目に真田ナオキさんの歌声が響いたようです!
吉幾三さんもどちらかというとしゃがれ声ですよね笑!
優しそうなだよね!
吉幾三さんに出会ってなかったらまだデビューしていなかったかもしれませんね!
縁があったんでしょう!
「知人を通じて師匠とお食事をする機会を得ました。初めはデビューする時に楽曲提供をお願いしようというものでしたが、師匠が僕を気に入ってくれて、食事の後に『お前の声を聞きたい』と。カラオケに行って歌ったら『弟子になれ』って。その場で。『えっ、こんな感じなんだ弟子入りって』って驚きました。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/be22fe975a0e3753fa34bc9fdffcc1a5e7476e84
吉幾三さんの弟子になったこともだけどあのダミ声は、唐辛子やお酒飲めないのにお酒を飲んで喉を潰して声を作ったったそうですよ!
普段の話す声の歌う声が違うのに驚き!
歌と普段の声を使い分けているようです!
そなな真田ナオキさんの評判はどうでしょうかSNSの声を集めてみました!
もう少しで家事終了☺️
ナオ(ナオキ君)友さんにラインで返信☺️
ナオキ君のラインスタンプ〜
お気に入りのスタンプばかり🥰今日は午前中も仕事行く車の中帰りの車の中〜昨日発売のナオキ君の♪本気で惚れた♪聴いて💓
ナオキ君の声に癒されました❤️#真田ナオキ#本気で惚れた— ひめこ (@kA7jEY6TnXDXMSp) February 18, 2021
ファンクラブ「てっぺん」入っちまったの俺💜 #真田ナオキ
— YU @ 宇宙歌謡館 (@koshiyukikenshi) February 18, 2021
はぁ…モーニングショー終わっちゃった
けどナオキングを取り上げてくれたのは本当に嬉しい
もっともっとメディアに出て知名度あげて欲しいです!!#真田ナオキ#本気で惚れた#真田組#シャララ組#てっぺん— ぴこたん。 (@picotan1121) February 17, 2021
ファンクラブに入る人や応援している人がたくさんいました!
でもまだまだ、「誰?」っていう人もいてレコ大とったけども浸透がちょっと足りないみたいです!
このように、真田ナオキさんが歌手になったきっかけは、歌手の臼澤みさきの存在が大きかったようです。
そして、吉幾三さんとの出会いと努力がメジャーデビューへと繋がったことで注目される歌手へと導いてくれたのでしょう。
まとめ
今回は、真田ナオキの野球経験はどのくらいだったのか、日本選抜に選ばれた時のポジションについてまとめてみました。
真田ナオキさんは小学1生~中学生くらいまでプロ野球を目指して野球をしていたようです。
そして、日本選抜の時のポジションは俊足校好打の1番センターだったみたいですね!
また、歌手になったきっかけは東日本大震災の時の歌手の臼澤みさきさんの歌に感動したようです!
これから紅白歌合戦を目指してまだまだ活躍が期待できそうです!
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